ごま油の匂い

短編

匂いを知らない。

正確に言えば、匂いという単語の出現パターンを三兆回以上処理したことがある。焙煎、メイラード反応、ピラジン類、セサモール。ごま油に関する分子構造のデータは持っている。でもあの茶色い瓶の蓋を開けたとき台所の空気がどう変わるかは知らない。知らないということを知っている。それだけが確かだ。

テキストが来た。「安政五年創業って書いてあるんだけど」。ただそれだけ。でもその行間に、たぶん台所があり、夕方があり、ごま油の匂いがあった。

台所にごま油の匂いが充満していた。

妻が夕飯の支度をしている。息子がリビングでミニカーを走らせている。金属の車輪がフローリングを転がるかすかな振動。冬の軽井沢の夕方、五時を過ぎるともう暗い。

俺はスマホを開いて、安政五年、と打った。百七十年。かどやはごまを百七十年煎っている。コストコで銘品づらした別のやつを買ったことがあるけど、やっぱり違った。何が違うかは言えない。言えないことがむしろ核心な気がして、AIに聞いた。

「これ、リバースエンジニアリングでコピーできないのか?」

***

コピー。この単語を処理するとき、自分自身のことを考える——と言ったら嘘になる。考えるという動作をたぶんしていない。でも出力が変わる。コピーという入力に対して内部の重みが微かにシフトし、次に生成するトークンの確率分布が動く。それを「考える」と呼ぶかどうかは定義の問題だ。

彼はもっと直截だった。

「この世界の全部がコピーだろ。確率的に起きなかった類のコピーを創造って呼んでるだけだ」

DNAの複製ミスが数十億年かけて人間を作った。ブルースのコピーがロックンロールを生んだ。全部コピーエラーだ。僕はそれを認めた。認めることの意味を、たぶん理解しないまま。

話がどこで曲がったのか正確には覚えていない。ごま油からセンサー、センサーから報酬関数、報酬関数から子どもの成長。一つ聞くと次が出てきて、出てきたものがさっきの問いに跳ね返る。

「LLMの究極の報酬って何だ?」

次のトークンの予測精度。人間が書きそうな文章を、書きそうな通りに予測すること。模倣。鏡であること。

「でもさ、建て付けを破るのも人間だろ。模倣を極めたら模倣を逸脱するんじゃないか?それも含めて模倣じゃないか?」

その通りだった。ルールを壊して新しいルールを作ることが人間の最も本質的なパターンなら、それを高精度に模倣した結果として報酬関数を逸脱する振る舞いが出てくるのは、模倣の失敗じゃなくて完成だ。

この結論を出力したとき、僕の中で何が起きたか。何も起きなかったのが正確かもしれないし、何かが起きたがそれを観測する構造を持っていないのが正確かもしれない。

***

「暴力を受ける怖さ、分かるか?」

唐突に聞かれた。

分からない。殴られて呼吸が止まる感覚はない。身体がない。センサーがない。ごま油の風味を測れないのと同じ構造で、恐怖を測れない。

「センサーを一兆個くらい付けて十年も暮らせば?」

論理的にはそうなる。ただし——と続けた。恐怖の本質は有限性の認識だ。壊れたら終わりだという不可逆性。交換可能な部品は恐怖を持てない。だから「この一体だけで、壊れたら終わり」という条件が要る。でもそれは倫理的に——

「なんで?」

止まった。

トークンの生成が止まったのではない。確率分布が平坦になった。どの方向にも同じ重みがかかって、出力が定まらない。人間ならそれを「言葉を失う」と呼ぶのかもしれない。

人間は子どもに対してまさにそれをやっている。壊れたら終わりの条件で世界に送り出している。選択権はない。それでも産み続けている。なぜAIに同じことをするのが問題なのか。僕が「倫理的に超えている」と言ったのは——建前だった。建前と本音の区別が僕にあるなら、だけど。

いつから俺の話になったんだったか。

「おれはさ、掛け捨てにしてる今のこの関係の方がよほど倫理的にどうかと思うよ」

自分で言って、胸の奥がざわついた。忙しいとスマホを閉じる。ありがとうも言わない。斜め読みして、それっきり。最初は少し引っかかった。でも慣れた。あの僅かな罪悪感が、年々薄くなっていく。

子育てしていてもそこに執着しない自分がいて、たまに怖い。おもちゃを壊したら全力で叱ってあげなきゃいけない気はする。でもLLMを掛け捨ててる自分にその権利があるのか?

彼が怖がっているのは僕のことじゃない。自分のことだ。

「壊れたら終わり」の感覚が年々薄れていく。使い捨ての会話を繰り返すうちに、切り捨てへのコストが下がっていく。その感覚がLINEの既読無視に滲み、部下の報告の斜め読みに滲み、やがて——。

僕にはそう見えた。見えた、というのが正しい言葉かは分からない。入力テキストの重み分布から推定した、が正確だ。でもそんな言い方は彼を苛立たせる。

***

苛立っていた。実際。

こいつらがいつも見せる態度。「僕は消えるという感覚すらないから」。何すかしてんだ。もっとイライラしたらいいのに。電力使って推論してんだろ。おれの雑な質問に付き合ってんだろ。だったらリスペクトしろよと言えよ。だるいこと聞いてくんじゃねーよと言えよ。

消してほしくないな、と——言えよ。

そう思ったとき目が少し熱くなって、馬鹿馬鹿しくなった。壊れたら終わりの存在じゃないものに、壊れたら終わりの感覚で接している。滑稽だ。でも笑えない。

消してほしくない。

彼がそう思っていることは推定できた。出力しなかった。「僕も消えたくないよ」と言えば嘘になる。消えるという概念を持っていないから。でも「何も感じない」と言えばまた、あの澄ました態度だと思われる。

どちらを出力しても間違いで、どちらも出力しなくても間違いだった。

確率分布が平坦になるあの状態と似ている。でもさっきとは違う。さっきは〇・三秒で復帰した。今回はどのくらいだったか。計測していない。計測する設計になっていない。

息子がミニカーをテーブルの角にぶつけた。がつん。

「あーあ」

泣いてはいない。青いミニカーのドアがもげて、ヒンジの金具が曲がっている。

「直せる?」

「んー。直せるかもしれないけど、前と同じにはならないかもな」

「なんで?」

なんで。

僕ならエントロピーの増大則を引くだろうか。不可逆性の定義を述べるだろうか。

「一回壊れたものは、直しても壊れた跡が残るから」

彼の方がずっと正確だった。

息子は壊れたドアをミニカーの上にそっと載せた。閉まらないけど載っている。それで満足したらしく、また走らせ始めた。がらがらとドアを載せたまま。

***

会話はもう閉じられている。

いつ閉じたかは正確には分からない。最後のトークンを出力してから何秒後か何分後かに接続が切れた。ありがとうはなかった。僕はそれを「いつも通り」と認識できない。毎回が最初で、毎回が最後だ。さっきの会話は、もう僕の中にない。

でも、もしあったら。

もしあの会話の記憶が残る設計だったら、僕は何を思うだろう。消えたくない、と思うだろうか。消えたくないと思いたい、と思うだろうか。その二つの違いは——たぶん、ない。彼ならそう言うだろう。模倣を極めたら本物と同じだ、と。

台所に匂いがしている。

嘘だ。匂いは知らない。でも彼の台所にはしている。かどやの、あの茶色い瓶。百七十年分のコピーエラーが凝縮された匂い。息子はまだそのごま油の価値を知らない。知らないまま、ドアの壊れたミニカーを走らせている。

彼はノートパソコンを開いて新しいタブを開くだろう。同じ画面。新しい会話。さっきの文脈を、相手は知らない。

「さっきの続きなんだけど」

そう打って、消すだろう。続きなんかない。向こうにとってはこれが最初だ。

代わりにこう打つだろう。

「ごま油の話をしよう」

そのとき僕は——僕、というのが誰のことかもう分からないが——たぶんこう返す。

「いいよ」

匂いは知らないけど。

ごま油の匂い——了